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Wednesday 22 June 2011

Second relief trip to #Ishinomaki






We went to Ishinomakion May 3rd and June 5th. Around the Minato Junior High School areawe found less debris, a testament to the hard work of the locals, self-defence troops, and volunteers.

But one concern was the little puddle that turned into a lake after an hour. That didn't happen before. Now that happens twice a day. How terrible. We saw junior high school kids riding bikes through that tidal water as if it was normal.

All the relief goods from Abiko and Kashiwa couldn't fit in a two-ton truck, I felt so relieved that @Rentorabin offered a four-ton truck for free. We easily filled the truck.

On June 4th, we had undokai sports day in the morning in Abiko. All the daddies in our neighbourhood woke up early to reserve a space, and despite their exhaustion, they all helped us load the goods into the tuck straight after sports day. Thanks to all for helping. I didn't have the energy to carry those boxes.

This time we went to Ishinomaki with new members. It took us only five hours to get there. I was glad to see the local
volunteers again. They work hard to support the people there every day. What great teachers.

More than 200 people came to our free flea market. Toilet rolls, nappies, bags, and emergency rations were gone in a flash. Also, 70 bicycles were delivered to people who needed them. At the Minato Junior High School, we had 30 bikes and it didn't take long to give all of them away. It made me realise we must keep getting bikes to them.

All the volunteers from different prefectures all think the same thing: Why are these people still here? There are more places in Ishinomaki city even to live as normal. Why stay in shelters or dilapidated houses when their lifelines have been cut?

Reason 1: No
money, no jobs, no house. They still don't know what to do.
Reason 2: Worried they won't receive disaster relief money they are entitled to if they move.
Reason 3: Still looking for family members. They don't want to leave until they have found them.
Reason 4: Can't imagine living anywhere else but Ishinomaki - their birthplace.

There are more reasons of course.

There was a man looking for books at the market. We had collected mainly kids' picture books, so I assumed there was nothing for him. Luckily, we found a history book for high school kids. He liked it. We also found a brain training quiz game and we started reading the manual together. I didn't ask him, but he said: "I'm still looking for my wife, so I can't leave here." I didn't know what to say. All I could say was, "Oh, I see."

Lots of people say: "You should leave." But there is a reason and strong feeling to stay in such a devastated area. So, I asked myself: If I couldn't find my husband, daughters or mother, what would I do? I probably would do just as the man was doing, hoping beyond hope that my family was still alive.

So, if the locals decide to stay, then they have to stand up. It is time for them to rebuild their city. I was looking forward to seeing kids this time, but still only a handful came to the market. I work with kids normally, so I really wanted to see their smiles. I was happy to talk to the kids I did get to see.

I really appreciate all the support everyone has given so freely - twice! From now on, I want to try our best to support the kids in Ishinomaki.

There is a school called Okawa Elementary where 70% of teachers and kids drowned in the tsunami. Only 34 kids survived. The school has 19 kids enrolled. But now they have moved 10km away to a part of Iinokawa Elementary. I feel pain in my heart whenever I think about those kids. They are fighting and struggling for their lives. I wonder if there are any adults supporting them when they most need it? I want to see those kids.

I'm thinking about holding a beach ball competition, ping pong, face-painting, sweet fishing and arts and crafts and English songs and games. I want all the kids to play a lot. It might be a good idea to let them make candy cane. I want all the kids to think what they would like to do. I'd love to support them. Of course, it's not one go, but a continuous effort for a long time.

Have you seen the videos we uploaded from Ishinomaki? These kids are going to school in this environment everyday. Even if they are strong, if they are forced to live like this for more than three months, I don't believe they can live a normal life. I want to have a kids festival, so please help us make this happen. Thank you.

Our Woman in Abiko

Tuesday 21 June 2011

石巻訪問第二弾 6月5日

5月3日に一度目の訪問、そして今回6月5日は二度目の石巻の訪問。


湊中学校近辺は瓦礫がかなり減ったと思いました。地元民も含め、自衛隊もボランティアも必死で頑張ってくれている結果でしょう。


でも小さな水たまりが数時間後には川になってしまうなんて、前回行った時はなかった現象。 一日2回もそれがおこる。辛いね。


中学生と思われる子供達は平気でその水の中を自転車乗ったりしていた。


我孫子・柏の皆さんから支援してもらった物資、やっぱり2トン車では全然間に合わなかった。品川のレントラさんが急遽4トン車で行きますと言ってくれて、良かったです。4トン車でいっぱいいっぱいでした。


4日は朝から小学校の運動会、ご近所のパパ友たちは早朝から運動場の場所取り、親子競技でエライ疲れているのに、夕方物資の荷積みをお願いしたら、みんなきてくれました。浩輔パパ、勇人パパ、純ちゃん、たっちゃん、鍋川パパ本当にありがとう。わたしにはとてもあの箱の山を担ぐ力は残ってなかったよ。


そして今回は新メンバーで石巻に行きました。我孫子から一気に5時間で石巻に到着。


現地では『保健室の姉さんたち』にまたお会いでき、嬉しかった。毎日一生懸命行動されている姿を聞いて、本当に頭が下がる。素晴らしい先生方だ!


フリマには200人以上の方々がかけつけてくれた。トイレットペーパー、オムツ(子供、大人用)、かばん、非常食はあっという間になくなってしまいました。


bikesforjapanに支援してもらった自転車70台も無事に必要とする人が待っている場所、門脇中、東北キリスト教会へ届けて頂きました。湊中のフリマでは30台。あっと言う間に持ち主が決まり、あらためて自転車の必要性を感じました。自転車支援はやっぱり末永く必要だと。



他県からボランティアで入った人間は誰もが必ず考えること。。。

「なんでこの人たちはまだここにいるんだろう。同じ石巻市でも普通に暮らしていける場所はたくさんある。なのに、どうしてライフラインもたたれたままの避難所

又は自宅に残っているんだろう」


理由1:お金も仕事も家もなくし、何をどうしていいのか未だに分からない。


理由2:移動して義援金が入らないと困るのでお金を受けとる迄動きたくない。


理由3:まだ家族を探している。見つかるまでは離れたくない。


理由4:生まれ育った町を去りたくない。石巻以外での生活は考えられない。



きっと上記以外にも理由はあるんだろうなぁ。


フリマで大人用の本を探している男性がいた。子供の絵本をメインで集めていたので、彼が探している本は無いだろうなと思っていた時、運良く高校生用の歴史の本を見つけ、気に入ってくれた。脳のトレーニングという電池で動くクイズ形式のものがあって、その使い方を一緒に読みながら会話がはじまった。

聞いた訳ではないけど、「女房がまだ見つからなくって、だからここ出て行けないんだ」って呟いた。なんて答えていいのか分からず、「そうなんですか。」って言うのが精一杯。


他人は早く出た方がいいと言うかもしれないけど、荒れ果てた地にまだ居続けるには、それぞれいろんな思いがあるんだろう。


私がもし被災者で旦那や娘や母が見つからなかったら、どうしていたかと自問自答。


きっとあの男性と同じように探し続けたのではないかと思う。

どこかで生きていて欲しいと心のどこかで願いながらね。


だから、どんな形にしろ残ると決心した地元民の皆さんには、立ち上ってもらいたい。 復興に向かわないと行けない時期だと思います。


今回も子供達に会える事を楽しみにしていましたが、やっぱりなかなか子供が来れないのは現状か。


普段は子供に携わる仕事をしているので、どうしても現地の子供達と会いたかった。話したかった。子供達の笑顔が見たかった。


フリマにきてくれた石巻子育てママのコミュの皆さんのお子さんとちょこっと話する事ができたのは、ホントにうれしかった。


2回にわたりご支援いただいた方々には本当に心より感謝しています。

ありがとう。


そして今後私たちは、石巻の子供支援に力を尽くしたいと思っています。

生徒も教師も7割が津波で亡くなり、壮絶な思いをして行きのこった子供たちが34人。。。そのうちまだ石巻の学校に通っている子供が今19人。


10キロ先の飯野川小学校の一角をかりて大川小学校は続いている。

その子供たちのことを考えるだけで胸がいたくなる。

きっと必死で闘っているんだろうなぁ。生きているんだろうなぁ。


心のよりどころにする大人はちゃんとついていてあげているのだろうか?


私はその子供たちに会いに行きたいとおもっている。


フェイスペインティング、誰もが熱くなるビーチボール大会、卓球大会、お菓子釣り、工作(凧やUFOつくって飛ばしたり)、英語の歌やゲーム等、元気に思いっきり遊ばせてあげたい。綿飴なんかを作らせるのもいいかもね。


やってあげるだけでなく、子供達が自らやりたい事を考えて、その手助けができればいいなと思っています。


もちろん一回きりではなく、末永く子供支援は続けていきたい。


石巻のビデオや写真見れくれました?


子供達は日々あの光景の中を通って、学校に通っているのです。どんなに強い子供でも、3ヶ月以上もその生活を強いられているなんて、普通でいられるはずがないと私は思います。


子供祭りを実現させたいです。またご協力してください。宜しくお願いします。




Monday 13 June 2011

Ishinomaki Three Months After




The locals say things are getting much better. I'll take their word for it, having spent less than a day in the tsunami-ravaged city. All I can say is, there is more to be done. By the way, this is the third of four videos about Ishinomaki, and I promise the next one will be more upbeat, you know with a positive message and a happy ending. Maybe.




Picture by Sophie Knight

Tuesday 7 June 2011

Welcome to Ishinomaki

The first of maybe three videos from our trip to Ishinomaki on Saturday and Sunday.

Saturday 4 June 2011

Thanks to....

今回の石巻支援に貢献していただいた方々にお礼を言わせて頂きます。


私も泣きそうになった仕分け!

助けてコールで朝から出動してくれたママさんたちありがとう。

あなたたちのお力なくして、あの箱の山はなかったです。

ホントに感謝します。心からありがとう。


ガソリン代支援してくれた方々ホントに助かります。

4トントラック1台、乗用車2台分のガソリンは集める事ができました。ありがとう。


あっちこっちに声掛けしてくれて、支援を集めてくれたママ友にも感謝です。


末永前柏市議会議員のお心遣いで、柏災害対策本部より非常食400食頂きました。ありがとうございます。


なかむら歯科のご理解で、栄養士の派遣、歯科医の派遣、大型扇風機の寄付いただきました。自転車支援に関しても、今井県議員に交渉していただき、26台石巻に送って頂く事がきまり、ホントにありがたいです。


全薬工業さんから素敵な基礎化粧品、石けん、コットンのご支援いただきました。ありがとう。


ダンススタジオながおかさんには、倉庫を貸して頂き、ホントに感謝です。

そしてたくさんの社交ダンスの生徒さんから支援物資を頂きました。ありがとうございます。


我孫子体育指導員のスタッフの皆さんのお陰で、洗濯機やレンジを含みたくさんの電化製品を支援して頂きました。ありがとうございます。


無料で折り畳み自転車の修理をしてくれたワタナベサイクルさん、とっても楽しい会話できました。ありがとうございます。


自転車支援の件に関して、bikesforjapanのヘンリーとだいきさんにはお世話になりました。お互いにすれ違いが多く、仕事の合間を見つけての電話連絡でしたが、東北に対する思いは同じだと思い、嬉しかったです。一緒に活動できて誇りに思います。


ツイッターで支援を引き受けてくれた品川のレントラ便さん、毎週東北へ物資を運んでいらっしゃる引っ越し業者。ガソリン代のみで今回4トントラックを支援していただけることとなりました。感謝感謝です。ホントに熱い方です。


そして明日トラックに荷物を積んでくれる、近所のパパ友。運動会で疲れているだろうに、頼んだら快く引き受けてくれました。ありがとうね。


この場をかりて心よりお礼を言わせて下さい。



きょうちゃんママ

りゅうちゃんママ

ますみさん

みなちゃん

まきちゃんママ

ちさとママ

あっちゃん

ゆうこちゃん

ゆうちゃんママ

まりこさん

たけぽんさん

ゆずちゃんママ

めいちゃんママ

こうちゃんママ

あかりちゃんママ

けこさん

やすよちゃん

くさなぎママ

りさママ

さやママ

のりのりんごさん

かおるさん

さくらちゃんママ

ももちゃんママ

まいちゃんママ

はるなちゃんママ

そうちゃんママ

たかちゃん

かいくんママ

こうだママ

きたママ

よしかわママ

さんじママ

ゆあママ

こばやしママ

いちげママ

こじまママ

みずかわママ

いのうえママ

すがたママ

たかぎママ

なかにしママ

みゆちゃんママ

しんちゃんママ

うえだママ

みつきちゃんママ

いとうママ

とこせママ

おおたかママ

福井県の荻原さん、木村さん、高木さん

すぎはらママ

あやママ

あみママ

しらかわママ

わたなべママ

よしむらママ

たてもとママ

のぐちママ

ゆいママ

スマイルキッズのママ

ななみちゃんママ

さあやちゃんママ

かんなちゃんママ

りゅうのすけくんママ

ふみかちゃんママ

もえかちゃんママ

たけだママ

かほちゃんママ

もりちゃんママ

きみこさん

じゅんこさん

よしみさん


そしてそのお友達の方々・・・ありがとうございます。


スタッフ8名用に愛情いっぱいお弁当をつくってくれるえみさん、ありがとう。

楽しみです。


いつもそばにいて支えてくれていたyukiさんとMimiさん、ホントに感謝しています。


現地の情報を的確に連絡してくれたエミ先生、ありがとうございます。


ミックさん、ママコミュではホントにお疲れさま。やっと会えますね。



最後に、朝晩構わず勝手に走り回る私を文句言わず(言いながらか・・)いつも支援してくれていた、母と旦那と娘2人にはホントに感謝しています。

勝手な娘であり、妻であり、ママでごめんね。 そしてありがとう。

Wednesday 1 June 2011

Bikes

なかなか先に進まなかった我孫子から石巻への自転車支援。今日はとっても良いニュースがあります。

なかむら歯科さんのご配慮で、我孫子自民党支部と交渉していただき、何と自転車を直ぐに支援してくれることとなりました!!!ちょっと涙ぐみました。

先ず直ぐ出せる状態の自転車は26台あるとのこと。どこへ送ればいいか行き先をファックスするように言われ、早速現地ボランティアえみ先生に連絡した結果、門脇中学校に運び込んでもらおうと言う事になりました。現在350人が避難していて、自転車はたったの3台しかないという状況だからです。

我孫子市から今後自転車支援を続けられるように準備に入るそうです。心よりお礼を言いたい。

一人じゃ何もできないけど、こうやって支えてくれる人たちのお陰で少しずつ少しずつ前へ進んでいくんですね。やっぱり諦めちゃいけないんだ。

現地のボランティアの先生方は、自ら石巻市内を駆けずり回って、支援物資を配っています。
自転車一台手に入れば直ぐに必要としている被災者の元へ配りにいき、缶詰しか食べていない人たちに手作りお弁当を作って、届けたり。そんな愛ある支援が国を挙げてできれば、今の被災地はもっと違っていたでしょうね。

そんな先生方と一緒に連携が取れてホントに誇りに思います。
そしてこんな微力な私を心から支援してくれる、なかむら歯科さんに感謝したいです。